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理念・政策
失いかけていた山梨へのプライド(誇り)
東京へのコンプレックス

私の父は19歳で甲府市徳行に小さな自動車鈑金塗装工場を始めました。たたき上げの父とそれを支える母の二人三脚の工場経営を、私は幼い頃から見て育ちました。そして工場は地域の信頼を得てどんどん拡大し、県下の優良企業に成長しました。しかし父の私への口癖は「お前は鈑金塗装なんかやらんで、勉強して東京に行け!そして弁護士になれ!」でした。私はその通り東京の大学へと進学し、その後アメリカへと渡り、帰国後は東京で大手損害保険会社に勤めました。東京出身の妻と2人で、都会での憧れの生活を謳歌しました。できるだけ都会人に成りすまし、出身地がバレないようにして生きていました。

「地方の時代」という言葉を信じて帰郷

一方で、いずれは山梨に戻りたいとも思っていました。憧れていた東京生活でしたが、何か満たされない感じがしていました。「このまま家族の幸せだけを願って東京で生きるのも良いけど、私には山梨という田舎がある。山梨で地域の人々と一緒になって、何か山梨でしかできないことをやってみたい。東京がうらやましいと思って、憧れるようなことを山梨でやってみたい」。そう考えていた頃、世間では「これからは地方が面白い」、「地方分権の時代になる」と言われるようになりました。
山梨県出身ということをひた隠しにしながら、憧れの東京で生活する。一方で、東京での生き方に欠乏感を覚えながら、山梨での生活に可能性を感じている。そんな数年間を過ごした後、私は2000年に山梨に帰ってきました。10年ぶりの帰郷でした。

行政と大手企業に依存した山梨の産業

しばらくは父の自動車鈑金塗装工場に入って営業職に専念しながら、山梨の産業構造を見ました。それは大きく言うと「行政と大手企業に依存した産業構造」でした。多くの会社のいちばんの取引先は、県庁や市役所などの行政機関か、メーカーや金融などの大手企業でした。いずれも自分の力ではどうすることもできない支配的な存在を頼って生きる産業構造に、山梨県民が慣れきってしまっている、というのが私の実感でした。「支配的な」行政や大手企業と「従属的な」地方の産業という硬直した関係性です。久しぶりに地元で会った同級生たちは、私が大手企業を自ら辞めて帰ってきたと聞いて呆れていました。「地方の時代」などという考え方は、地方の若者の間にさえ皆無でした。

我が子に恥じない地域づくり

2001年夏、念願の1人目の子が生まれました。山梨での生活や仕事にだいぶ慣れてきたある晩の妻との会話をいまでも覚えています。1歳になった長女の寝顔を見ながら、将来の進路について話しました。「山梨には学校の選択肢が東京に比べてだいぶ少ないよね。毎日の生活にも刺激が少ないような気がするの」と妻。「そうだなあ。こっちでは中学までは近くの公立校に行くのが普通だよ。でもこの子はラッキーだ!」と私。「東京にお前の実家がある! あの家に居候させてもらって東京の高校に行かせよう。田舎の学校より、都会の学校がいいに決まってる。何なら中学から行かせようか」と、まるで夢でも語るかのように話しました。山梨に絶望していたわけではありませんでした。それでも我が子のこととなると、無意識の中に本音が出てしまったのでしょう。地元に対する私の希望が消えかけていることを自覚しました。
この会話をきっかけに、いよいよ覚悟を決めて「我が子に恥じない地域づくり」に取り組む準備を一人で始めました。関連する本を読みあさったり、全国各地の事例を見に行ったりしました。

プライド(誇り)を持って生きられる山梨を
地域資源を活用して、山梨の自立をめざす

いま、地元に残っている若者が、山梨への誇りを失いかけています。「行政と大手企業」への依存に慣れた地元企業が、景気回復への出口を見失いかけています。山梨はどうしたら良いのか。どうやって自力をつけ、これからの「道州制」の枠組みの中で埋もれずに、存在感を示すことができるのか。
それには「山梨独自の魅力を活かした地域づくり」を少しずつ、住民主体で始めることしかない、と私は考えています。そして山梨の魅力は、「地域資源」として既にこの山梨にあるのです。それは、ぶどうや桃などの農業や林業、ワインやジュエリーなどの加工業、森林や富士山、八ヶ岳、温泉、古民家などの自然や景観、芸術やスポーツ、地域の小規模店などのビジネスです。それらに深く関わって生活している人材です。
私の理想は、まだどこにもない新しい価値を、この山梨から全国に示すことです。そのために独自の「地域資源」を山梨県民が共有して、活用して、ここにしかない「地域ビジネス」を育ててゆく。そして山梨が経済的にも文化的にも、行政や大手企業への依存から少しずつ脱却して、「山梨の自立」をめざす。これが「地域へのプライド(誇り)」の回復の数少ない手段の1つではないでしょうか。またこれは私自身がプライドを取り戻すためでもあるのです。

地域資源を活用して、山梨の自立をめざす 地域資源を活用して、山梨の自立をめざす
「ワインツーリズム」という地域ビジネス

私たちは「ワインツーリズム」という活動を通して、山梨が全国への発信源になるために「地域ビジネス」のモデルケースを示してきました。山梨にしかない「ぶどうとワインの産地」という地域資源を活用して、地域が連携して全国からの来訪者をもてなし、地域全体が潤うための地域ビジネスを育てる試みです。しかし、それにはまだ大きな課題があります。「地域住民の主体性」と「持続可能な事業主体の確立」です。つまり、地域住民の無関心や分裂、行政への依存体質、そしてこのモデルケースを率先する私たち外部の人々と、産地の住民との信頼関係の不十分さ。またこのような課題に正面から向き合う勇気と、みんなで民主的に議論する能力を、まだまだ持ち合わせていないのも現状です。

ぶどうとワインの産地を巡る地域イベント
「ワインツーリズム」(毎年秋に1度開催)

このイベントでは参加者に、ワイン産地の勝沼・塩山・甲府のガイドブックと、1日限定の市内循環バスを用意しました(参加費2,500円)。参加者は最寄りの駅に着いたら、循環バスで目的地まで行き、ガイドブックを頼りに産地を散策し、ワイナリーで試飲をして好みのワインを購入します。「山梨から売りに行く」のではなく、「山梨に来てもらう」ことを考えました。その結果、過去3回の開催で、北海道から沖縄まで全国から延べ7000人もの人々が訪れ、ぶどうやワインはもちろん、山梨の景観、風土、人々の営みにも触れていただきました。これは東京で山梨のワインをいくら飲んでも分からないことです。一度この山梨の魅力に触れた人々は、今度は別の季節に山梨を訪れ、まちを散策して楽しみます。
そして何よりも、この散策する7000人を地元住民が見て、驚くわけです。「どーいで、こんなとこ歩いてるで?」「何がおもしろいで?」山梨に生活していると分からない地域の魅力に、外部の人が楽しんでいるのを見て気づくのです。すると今度は、それを活かして、もっと喜んでもらおう、と工夫が始まります。

「ワインツーリズム」という地域ビジネス 「ワインツーリズム」という地域ビジネス
公共事業や企業誘致に頼った活性化から、地域ビジネスに寄る活性化へ

これまでの全国各地での地域振興や地域活性化の事業は、ほとんど全てが「行政」や「業界団体」(各業界の協会や組合、商工会、商工会議所、商店会など)の主導でした。行政が各地の成功事例などをもとに補助金制度をつくり、業界団体はその補助金を前提とした事業モデルをつくり、補助金がなくなれば活性化事業もやめてしまいます。この従来のやり方で、閉塞した山梨を本当に立て直すことができるでしょうか?こんな補助金の使い方で、本当に公平だと言えるでしょうか? 
もう右肩上がりの経済成長はとっくに終わっています。規模・売上・効率だけが価値であった時代は過去のものです。国と地方の関係、県と市町村の関係、行政と民間の関係、大手企業と中小企業との関係、全てにおいてこれまでの常識を疑い、壊してゆかなければなりません。従来の行政によるバラマキや業界団体任せの補助金の使い方、そして従来の事業の評価基準を変えなければなりません。いまこそ古い価値観を排し、新しい価値観で地域振興や地域活性化をしてゆかなければ手遅れとなります。
そのためには、事業の企画や成果を「規模・売上・効率」だけで判断するのではなく、「いかに地域資源を活用しているか」「いかに住民の人間関係を広め・深めているか」「いかに持続可能な地域経営に寄与するか」といった「新しい豊かさの基準」を世間一般が持たなければなりません。それによって行政も、地域活性化事業の評価基準を変えることになるはずです。そうすることで山梨県内の新たな能力が開拓されるのです。
私はこの「新しい価値観」「新しい豊かさの基準」を広めたいのです。より効果的に県民の間に理解を広めるために、私は1人のビジネスマンとしてではなく、政治家として言論を手段に生きてゆく覚悟をしました。